ご無沙汰の間の記~その1 [旅*東北]
そういえばそうでした。
ブログが更新できなくなって久しかったのでした。
料理教室をはじめるに至った道すじをかいつまんでご報告しなくっちゃだね。

思い返してみるとたぶん料理教室への道は
新宿のこの高速バス乗り場からはじまっていたのかもね。

はじまりは2012年10月の石巻。
その日は、畑だった土地で農業ができるよう
瓦礫撤去作業のボランティアをしていました。

津波の時間に止まった時計。
思い返してみれば、現地スタッフの方と
目の前の作業手順以外の事柄について
いろいろな話をしながら作業ができるようになったのも
この頃だったからかもしれません。
問わず語りに語られる支援を受ける側の複雑な思いを聞いたり
縁もゆかりもなかった東北に、なぜ通い続けるのか、
などの問いに答えながら、思わずポロリと出てしまった
東北は美味しいものがあって、それを知ったことが喜びだという私の言葉に
とても嬉しそうな顔をしてくれたのが印象に残っています。

この日訪れたお宅は高地移転をするか、その先も住み続けることができるか
なかなか行政から通知がないため、ずっと手つかずになっていたのだそうです。
移転の必要がないとわかったためボランティアの手が入ることになりました。
押し入れの上の段に乗ったままの横倒しのピアノ
床の上の乾いた砂。
依頼された作業は畑だけだったため、この状況を見ていることしかできませんでした。

作業終了後の、畑だった場所。
まっさらな状態には近づけることができたけれど
以前は何を育てていたのか、再びここで農業を再開し、実りを迎えることができるのだろうか
想像することは難しかったことを覚えています。

その夜は石巻に住む友人宅に泊まり、
持参したオマールの缶詰でつくったパスタとボルドーワインで
瓦礫撤去作業などガテン系ボランティアのニーズが減っていくであろうこの先
これから私たちはどういう支援ができるだろう、と語りあい
自分が好きなこと、得意なことで東北のためにできることを続けていきたい
たとえば、今まで通っているうちに覚えた東北の美味しいものを紹介するとかね
って言ったことを覚えてる。

そして帰宅後しばらく経ってからのこと。
別の友人から、私の手料理を食べる会の企画を提案されて
「やらせていただけるなら、ぜひ」ってお受けしたんだった。
そして、どうせやるのなら東北の食材を使ったパーティにしたいって
こちらからプレゼンしたの。

そして12月にボランティア仲間たちの協力で実現したパーティ。
みんなみんなありがとう♡

翌、2013年1月に訪れた石巻は雪化粧。

牡鹿半島で漁業支援のボランティア作業をしました。
牡蠣の殻をロープに通したものは養殖の種付けの道具。
海に沈めてホヤの種付けをするのだそうです。

その夜に降雪により、翌日は雪かき作業に変更。
仮設に住まわれている漁師さんたちと一緒に汗を流しながら
よもやま話。
これからも漁業を続けていきたいんだ
こうなったらもう自分たちで事業をはじめるしかないと思うんだよね
誰か若いヤツで漁師になりたいってヤツ知らない?
なんて聞かれたりね。

そして、東京に戻る道すがら寄り道した、以前仲間がボランティア作業をした浜で
偶然再開したそのときにお世話になった漁師さんに
完成したばかりの牡蠣の処理場見学をさせてもらったよ。

そんなこんなで顔の見える付き合いになってきた東北の生産者さんたちに思いを寄せながら
仲間たちと2度目の東北食材パーティが実現したのが
2013年2月のことでした。
つづく。。。。
ブログが更新できなくなって久しかったのでした。
料理教室をはじめるに至った道すじをかいつまんでご報告しなくっちゃだね。
思い返してみるとたぶん料理教室への道は
新宿のこの高速バス乗り場からはじまっていたのかもね。
はじまりは2012年10月の石巻。
その日は、畑だった土地で農業ができるよう
瓦礫撤去作業のボランティアをしていました。
津波の時間に止まった時計。
思い返してみれば、現地スタッフの方と
目の前の作業手順以外の事柄について
いろいろな話をしながら作業ができるようになったのも
この頃だったからかもしれません。
問わず語りに語られる支援を受ける側の複雑な思いを聞いたり
縁もゆかりもなかった東北に、なぜ通い続けるのか、
などの問いに答えながら、思わずポロリと出てしまった
東北は美味しいものがあって、それを知ったことが喜びだという私の言葉に
とても嬉しそうな顔をしてくれたのが印象に残っています。
この日訪れたお宅は高地移転をするか、その先も住み続けることができるか
なかなか行政から通知がないため、ずっと手つかずになっていたのだそうです。
移転の必要がないとわかったためボランティアの手が入ることになりました。
押し入れの上の段に乗ったままの横倒しのピアノ
床の上の乾いた砂。
依頼された作業は畑だけだったため、この状況を見ていることしかできませんでした。
作業終了後の、畑だった場所。
まっさらな状態には近づけることができたけれど
以前は何を育てていたのか、再びここで農業を再開し、実りを迎えることができるのだろうか
想像することは難しかったことを覚えています。
その夜は石巻に住む友人宅に泊まり、
持参したオマールの缶詰でつくったパスタとボルドーワインで
瓦礫撤去作業などガテン系ボランティアのニーズが減っていくであろうこの先
これから私たちはどういう支援ができるだろう、と語りあい
自分が好きなこと、得意なことで東北のためにできることを続けていきたい
たとえば、今まで通っているうちに覚えた東北の美味しいものを紹介するとかね
って言ったことを覚えてる。

そして帰宅後しばらく経ってからのこと。
別の友人から、私の手料理を食べる会の企画を提案されて
「やらせていただけるなら、ぜひ」ってお受けしたんだった。
そして、どうせやるのなら東北の食材を使ったパーティにしたいって
こちらからプレゼンしたの。

そして12月にボランティア仲間たちの協力で実現したパーティ。
みんなみんなありがとう♡

翌、2013年1月に訪れた石巻は雪化粧。
牡鹿半島で漁業支援のボランティア作業をしました。
牡蠣の殻をロープに通したものは養殖の種付けの道具。
海に沈めてホヤの種付けをするのだそうです。
その夜に降雪により、翌日は雪かき作業に変更。
仮設に住まわれている漁師さんたちと一緒に汗を流しながら
よもやま話。
これからも漁業を続けていきたいんだ
こうなったらもう自分たちで事業をはじめるしかないと思うんだよね
誰か若いヤツで漁師になりたいってヤツ知らない?
なんて聞かれたりね。
そして、東京に戻る道すがら寄り道した、以前仲間がボランティア作業をした浜で
偶然再開したそのときにお世話になった漁師さんに
完成したばかりの牡蠣の処理場見学をさせてもらったよ。

そんなこんなで顔の見える付き合いになってきた東北の生産者さんたちに思いを寄せながら
仲間たちと2度目の東北食材パーティが実現したのが
2013年2月のことでした。
つづく。。。。
2014-07-01 21:58
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てんちゃん、こんばんは!
なるほどねーもう1年以上経ってたんだー
経過はおおよそ聞いていたけど、ほぼ自然発生のおはなしだったんだね。
イイコトだよね、望まれて必要とされてやっていることって、
きっとシアワセなコトのひとつだと思う。
by nicolas (2014-07-11 18:36)
にこちゃん、「ただいま」の前のヴァンドーム広場からの振り幅がなんかすごくて自分でも吃驚なのですが、ふたつの世界を行ったり来たりしながらも、今にして思えば道が一本まっすぐつながってたカンジです。
うん、これがきっとシアワセで、そして有り難いことなんだって、しみじみじんわり感じてます。
by noriko (2014-07-12 00:27)